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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2018-08-03 2018年 8月号 1週次 365qt 47
レビ記 1:1~9
生活の全体が礼拝となるには
今日多くのクリスチャンたちが「生活全般が礼拝となるべきだ」と言っている。主日の礼拝だけでなく、日常が神様にとっての横媚びにならなければならないという意味である。しかし彼らはこの事実を認めてはいるが、どのように生きればいいかということを正確には分かっていない。たとえ分かったとしても実践することは非常に難しいと感じている。自分の生活全体が礼拝となるためには、神様に自分の生活の全体を差し出すという訓練を経なければならない。こういった意味で、全焼のいけにえはその訓練の方向性がどこにあるかということを知らせてくれる。神様がモーセを通して知らせてくださった全焼のいけにえについて調べながら、自分の生活の全体が礼拝になるために決断すべき部分が何かを考えてみよう。

1. 神様が会見の天幕でモーセを呼び、イスラエルの民に教えようとしていた内容は何だったでしょうか。(2節)
- だれでも神様にささげ物をささげるなら、家畜の中から牛や羊をささげ物としてささげなければならないと言われた。

2. 全焼のいけにえをささげる民がしなければならないことは何か(3~6節)。民が家畜をささげることと、家畜に按手する行為の意味は何だろうか。
-民はささげものを持ってきて手を置き、ささげ物を殺し、それぞれの部分に切り分けなければならなかった。ささげ物をとるのは、ささげ物をする本人がしなければならないことだった。
-家畜をささげることには、犠牲がともなっている。当時、家畜自体が非常に重要な財産であったことから、これをとってささげるということは大きな決断が必要なことだった。それだけでなく、手を置く行為には自分の罪を動物に転嫁する意味があり、本来、罪によって自分が死ななければならないということを意味する。
3.祭司たちは全焼のいけにえから出た血をどのようにしましたか。その血にこめられている意味は何ですか(5節)。
  -祭司たちは全焼のいけにえから出た動物の血を会見の天幕の入り口にある祭壇の回りに注ぎかけた。
  -血そのものにはいのちの意味がある。血はただ神のものであることを意味している。また、罪を犯した人間が神の赦しを受けるための、贖いの意味がある。
4.祭司たちは全焼のいけにえをどのように扱いましたか。神様は全焼のいけにえが焼ける煙についてどのように表現していますか(8~9節)。このように表現された理由は何でしょう。
- 祭司たちは全焼のいけにえを祭壇の上に並べ、火で完全に燃やさなければならない。神様はこの煙を「かおり」と表現された。
- 神様がささげものの煙を「かおり」と表現されたのは、このささげものを受け取られるという意味で、喜んで受け取られることを意味する。ささげ物をする人は、無条件的な従順をもって自分のいけにえをささげなければならない。ささげ物全部を完全に燃やさなければならない。自分のささげ物をすべて差し出すことは、犠牲のともなう完全なる従順を意味し、神様はこのような完全なる従順が伴うささげ物を喜んで受け取られる。
5.神様が、喜んでそのかおりを受け取られるような礼拝をささげるためには、神様のみことばに対する全的な従順が必要です。あなたは神様に人生の全体を差し出すために、神様のみことばに従って生きていますか。
6.あなたが完全に従えないみことばがあるとすればそれは何でしょうか。生活の全体が神様への礼拝となるために、決断すべきことは何でしょうか。

全焼のいけにえは自分の罪を代わりに担う牛や羊を自分の手で殺し、祭司が皮を除いたすべての部分を焼いて神様にささげることです。この過程自体が神様についての完全なる従順と罪の赦しを意味するために、全焼のいけにえは旧約時代、頻繁にささげられました。しかし今日においてはもうこれ以上牛や羊を神様にささげる必要がなくなりました。まさにイエス様が私の罪を代わりに負い、ささげ物となってくださり神様に従順に従われたので、私は神様に完全に従う人として、義と認められたからです。だからといって、私たちは自分の人生を自由気ままに生きたり投げやりな姿勢で生きたりしてもいいということではありません。私たちは生きた供え物(ロマ 12:1)として、常に神様のみことばに従わなければなりません。神様のみこころのうちに私たちはたてられ、すべての価値の基準をみことばに置く生き方をし、みことばを守ろうと努力をするとき、あなたの人生全体が神様に礼拝する生活へと変えられていくことができます。

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