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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2018-04-30 |
2018年 5月号 4週次 |
365qt |
973 |
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本当に求めるべきこと ルカの福音書 12:22~34
<心の扉を開いて>
現代人たちは生活の質を非常に重要に考えています。毎日の生活に関心を注 ぎこみ、何を食べて何を着るか悩んでいます。そして具体的に生活の質を向 上させるために不断の努力をしています。何かが足りなくて生活の質が下が るかと心配し、思い煩います。クリスチャンたちも例外ではありません。時 として思い煩い、神様に不平不満を言い、つぶやくこともあります。しかし イエス様は弟子たちに神様の前に求めるべきことは、生活の必要ではないと 言われました。今日の本文を通して、クリスチャンたちが本当に求めるべき ことは何かともに考えてみましょう。
<みことばの種をまいて> 1. イエス様が弟子たちに心配するのはやめなさいと言われたことは何でしょ うか。もっと重要だと言われたことは何ですか(22~23節)。
-イエス様はいのちを維持するために必要な食べ物と、体を保護するために必要な着る者については心配するのをやめるよう言われた。 -イエスはいのちと体がもっと大切であると言われた。このとき、いのちと体は肉体的な生命と霊的な生命を一緒に意味するもので、全人格的な意味を持っている。
2. イエス様は弟子たちのどのような行動に注目されましたか。それに対して なんと言われましたか(26節)。
-イエス様は弟子たちに対して「小さなこともできない」存在であると語られた。 -弟子たちはイエス様の前で自分たちがどうすることもできないことについて心配している。
3. イエス様が烏や野の草にたとえて語られたのはなぜでしょうか。このこと を通して伝えようとされた内容は何でしょうか(24、27~28節)。
-イエス様は、神様が、蒔きもせず刈り入れもしない烏でさえ養っていてくださり、明日炉に投げ込まれる草でさえ装ってくださる方なので、弟子たちを養い、よくしてくださるのは当然であるという事実を知らせるためにたとえを用いられた。 -カラスは忌むべき動物(参照/レビ 11:13~15)とされており、野の草は燃料として用いることのできないものだった。イエス様はこのように価値のない者でも保護し手厚くしてくださる神様のまえで心配するのは信仰のない行動であるということを語ろうとされた。
4. 弟子たちが心配しなくていい理由は何でしょうか。まず神の国を求めよと いうイエス様のみことばから何を感じますか(29~31節)。
-神様はすでに弟子たちの必要を知っておられるからである。また、心配して求めることは世の異邦人たちが切に求めてする行動だからである。 -生活の必要を神様の主権にゆだね、永遠の命を求めよというみことばを胸に、各自感じた感情を分かち合いましょう。
5. 神様を全的に信頼できない状態で、生活の必要のために心配していたとい うことはありませんか。自分が持っている心配を明け渡すためには、何を 決断すべきでしょうか。 6. 神の国を求めることは、神の主権を認めて、永遠の命を求めることです。 神様が私の生活の主人であるということを認め、永遠の命を求めるため、 具体的に実践すべきことは何でしょうか。考えて分かち合ってみましょ う。
<人生の実を刈り取って> 神様は私たちが世的な心配をみな明け渡し、神様の主権に服従し、永遠 のいのちを求めることを願っておられます。しかし現実の生活で、神様 を全的に信頼することが難しいときが多くあるのもまた、事実です。食 べ物や着る物の問題のように、生活において必要なものが実際的な欠け となって私たちに迫ってきて、思い煩いに引き込むからです。しかし、 烏を養い野の草を装う神様は、すでに私たちの生活のすべての必要をご 存知です。そして私たちが神の国を求めるとき、これらのものはそれに 加えて与えられると約束してくださいました。ですから、思い煩いや心 配を明け渡し、全人格的に働かれる神様を信頼し、本当に神の国を求め る主の弟子となりましょう。
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目録
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