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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2018-04-30 2018年 5月号 1週次 365qt 867

<心の扉を開いて>
だれであっても理性的に納得できないことをするのは簡単ではありません。
そのような場合、経験と助言などを得て、それに対する可能性と妥当性を考
えます。経験と助言は、試行錯誤を少なくし、物事の優先順位を決定すると
ころに大きな役割を果たすからです。しかし経験と助言だけでは判断できな
いことがあります。そのことが神様のみこころにかなうことであれば、すべ
てのことを超越する信仰が必要になってきます。神様の力を自分の経験で制
限せずに、完全に受け入れるなら、どうしなければならないか、みことばを
通して考えてみましょう。


<みことばの種をまいて>
1. 弟子たちと共にベツサイダに行かれたイエス様は、ついて来る群れにどの
ようなことを行われましたか。このようなことを行われたのはなぜでしょ
う(11節)。

-彼らを迎え、神の国のことを話し、病のいやしを必要とする者たちをいやされた。
-イエス様はご自分と弟子たちについて来る群衆に冷たくなさらなかった。主のメッセージは十二弟子が主から遣わされたときに行っていた内容(参照/ 2절, 6절)と同じだった。対象がだれであるかということには関係なく、イエス様はご自分が行うべきことを行われ、神様の福音は拡張され続けた。



2. 日が暮れると、十二弟子は何を心配しましたか。彼らはイエス様にどのよ
うな提案をしましたか(12節)。弟子たちがこのように判断するしかなかっ
たのはなぜでしょう。

-自分たちがとどまっているところは人里離れたところであったので、彼らを村や部落に行かせて食べ物を得させるようにと言った。
- 群衆たちが集まった数を正確に知ることはできないが、大体で男だけでおよそ5000人いた(14절)とすれば、それ以上の数はイエス様と12弟子が把握するには現実的には不可能な数だった。それも人里離れたところで群衆たちに食べ物を与え、とどまらせることはできなかったので、弟子たちの立場からすれば、非常に常識的で、理性的な判断をしたものである。


3. イエス様は弟子たちの提案にどのように対処されましたか。このことに対
して弟子たちが差し出したパン五つと魚二匹に込められている意味は何で
しょうか(13節)。

-イエス様は、弟子たちに、あなたがたで食べ物を上げるようにと言われた。
- パン五つと魚二匹は、人里離れた場所にあった唯一の食べ物だった。ここから非常に様々な黙想をすることができるが、弟子たちはパン五つと魚二匹は、人数を前にしては、こんなものでは人々を食べさせることは不可能だと断定している状態だった。だから現実的な限界を表す数字であると同時に、「不可能」ということを込める意味がある。



4. イエス様が天を見上げてそれらを祝福し、五つのパンを裂いて弟子たちを
通して分け与えられたが、このことは何を意味していますか(16節)。イエ
ス様がこのような行動で群衆に仕えようとされたのはなぜでしょう。

-イエス様が弟子たちに食べ物を与えられる部分をNASBを通して見てみると、kept going(与え続けた)と説明されている。弟子たちに継続的に分け与え続けられたのである。イエス様はこの労を担われたということがここからうかがい知れる。  
-イエス様は、神の国のことを聞いた者たちが何の主の権威と力を体験できないままで送り返すことはできなかった。弟子たちが持っている信仰の容量は、イエス様の考えについていくものではなかったので、イエス様は天を見上げて祝福した後、弟子たちに、このように業が起こるのだということをお見せになった。弟子たちを通して、群衆たちにまで神様の子であるイエス・キリストが持っておられる権力と能力を見せられた 。




5. 神の国のことを、自分の経験と基準、または人の助言に従って判断し、制
限していた経験はないか、分かち合ってみましょう。
6. 自分の信仰の容量を広げ、神の国の業を喜びをもって担うには、何を決断
すべきなのか、それぞれ考えを分かち合ってみましょう。

<人生の実を刈り取って>
今までの経験を超越することをしようとするとき、私たちは理性と判断
に従って決定しようとしてしまいます。理性は神様が私たちに与えてく
ださった判断力であるので、重要な道具になります。しかし何より主が
私にこのことをゆだねられたというゆるぎない信仰が必要です。それが
あって初めて、ただ主の力にのみ拠り頼み、すべてのことをなすことが
できるからです。現実は、パンが五つと魚が二匹しかなかったとして
も、これを用いて業をなされるのは、全能なる神様であるという事実を
覚えなければなりません。私の信仰を妨害する疑いの心を打ち捨てて、
主の力に拠り頼み、任された働きを信仰によって担えますように。


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