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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2018-03-26 |
2018年 4月号 4週次.... |
365qt |
920 |
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先入観を越えた本当の信仰 ルカの福音書 7:1~10
<心の扉を開いて> 人々は誰かに初めて会った時、背景、環境、人種、文化について偏見をもっ て接するときが多くあります。豊かな人と貧しい人、互いに異なる人種、男 女間、世代間にもこのような偏見が存在します。もしこのような偏見が教会 のなかに入って来たなら、教会の本質を見て、ともに信仰生活をするところ に困難が生じることもあるでしょう。事実イエス様の時代に、ユダヤ人たち の持っていた異邦人に対する偏見は私たちの想像を超越しています。しかし ルカは今日の本文を通してこのような偏見をみな打ちこわして、みなから認 められる異邦人ひとりを紹介しています。この異邦人を通して私たちが学ぶ べきことは何か、考えてみましょう。
<みことばの種をまいて> 1. カペナウムにいたユダヤ人の長老たちは、イエス様のところに来て何を求 めましたか。異邦人を極度に嫌っていたユダヤ人たちがこのような反応を 見せたことを見て、何を感じますか(2~3節)。
-ある百人隊長の愛するしもべが病気になり、死にかけていたが、そのしもべを救ってくださいと願った。
2. 百人隊長が自分のしもべの命を惜しみ、ユダヤ人の長老たちをイエス様の もとに送りました。ローマの軍の百人隊長とユダヤ人が互いにいい関係を 持っていたことが記されていますが、このようなことは想像し難いことで した。どうしてこのようなことが起こったのでしょうか(5節)。
- これはその百人隊長の人格と信仰からなることである。彼がほかの人たちにとって手本になる人でなかったなら、このようなことは起こりえなかった。ユダヤ人を愛し、会堂を建てるということまでした人たちの間に障壁を置かない愛がこのようなことを可能にしたのである。
3. 百人隊長はイエス様が来られるという知らせにどのように反応しました か。彼の態度を見るとき、どのように感じますか(6~8節)。
- 百人隊長は友人たちを送り「主よ」という呼び名で呼ばせ、わざわざおいでくださらなくても結構だと伝えた。彼はおことばをいただかせてくだされば自分のしもべはいやされると言った。
4. イエス様は百人隊長の反応に何と語られましたか(9節)。イエス様はなぜこ のように語られたのだと思いますか。
- イエス様はこのような信仰はイスラエルの中にも見たことがないと言われた。 -イエス様はこのことを通してユダヤ人がもっと大きな信仰をもっており、異邦人は信仰を持つことが難しいという偏見を打ち砕かれた
5. 私たちもまた、ある階層、職業、民族に対して偏見をもっていはしないで しょうか。「そのような人たちは伝道をしても受け入れないだろう」とか 「あの人たちは悪い人たちだから遠ざけなければならない」などの偏見を 持ったことはないですか。 6. イエス様の時代に、ユダヤ人たちは異邦人を犬に例えるほどに、けがれた ものと考えていました。しかし聖書は彼らの中にむしろユダヤ人たちが恥 じ入るほどの信仰を持った人たいたことを証言しています。人と人の間の 分裂と偏見を解決するため、どのような努力ができるでしょうか。
<人生の実を刈り取って> どんな背景で、どのような姿で生きてきた人であっても、神様の恵みが あれば救いを受けた神様の民となることができます。そしていくら自分 と違った状況で生きてきた人であっても、イエス・キリストを救い主と して迎え入れた人であれば、その人は自分の兄弟であり、キリストのか らだの一部分となるのです。イエス・キリストの福音は人種と言語、文 化の違いも超える力があるのです。もし私たちの心の中に人に対する偏 見が残っているとすれば、それは福音を伝えるにおいて妨害となり、教 会の一致を妨害することになります。それぞれの心の中にある偏見を壊 し、ただ信仰にあって互いを受け入れる心を持てますように。
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目録
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