|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
|
|
|
|
|
|
|
2018-03-26 |
2018年 4月号 3週次.... |
365qt |
918 |
|
|
|
信仰生活の本当の目的 ルカの福音書 6:1~5
<心の扉を開いて> 私たちは家庭、学校、職場のような共同体で、規則の問題で意見の衝突が起 こることが度々ある。人それぞれ、規則を受け入れる適用範囲が違ってい て、理解の度合いも違うからである。事実、相手を理解し大事にする心が伴 っていれば、感情的な戦いにまで暴走することはないはずです。しかし配慮 より規則を守っているかいないかだけに集中してしまうと、人との関係は崩 れてしまい、規則を制定した本来の目的からも外れてしまうのです。今日の 本文を通して規則だけを残したパリサイ人たちの姿を見て、イエス様が私た ちに悟らせようとしたことは何か、考えてみましょう。
<みことばの種をまいて> 1. イエス様とともに歩んでいた弟子たちは、安息日になにをしていました か。パリサイ人たちはこれを何と言って批判しましたか(1~2節)
- 弟子たちは安息日に麦の穂を摘んで手でもみ出して食べていた(1節)。 - パリサイ人たちはこの行動が安息日にはしてはならないことだと言った(2節)。
2. イエス様はパリサイ人の批判に対して反駁するため、どのような例を挙げ られましたか。ダビデが食べた供えのパンはどのようなものだったと言い ましたか(3~4節)。
- イエス様はパリサイ人の批判に反駁するため、神殿に入って神様にささげられた供えのパンを食べたダビデの例を挙げた(3節)。 - ダビデが食べた供えのパンは「食べてはならない」供えのパンだった (4節)。
3. 安息日と供えのパンの共通した性質は何でしょう。イエス様が安息日と供 えのパンの話でパリサイ人の反駁した理由は何ですか(参照/出20:11、Ⅰ サム21:6)。
- 安息日と供えのパンの共通点は「聖い」ということだ。「聖い」というのは、神様が区別されたという意味だ。この世のすべての時間と物質は、みな神様の所有であるが、神様は六日の時間を私たちが自分のために使うことができるようにしてくださった。大部分の食べ物も食べることができるようにしてくださった。しかし一日の時間と一部の食べ物を特別に区別して神様にささげて「聖なるものとされた」目的は、本当の主人がだれであるかを知らせようとするためだった。 -ダビデは聖なる供えのパンを食べても神様の戒めを受けず、むしろイスラエルの王になり、神様の喜ばれる人になった。パリサイ人たちは彼らが慣れ親しんだ旧約聖書で「聖い」ということを機械的に守るものではないという例を知っていたのである。イエス様はこの事実に気づかせてくださった。
4. 安息日の本来の目的を思い出せず、禁止事項のように保守的な規則にだけ 執着したパリサイ人を見て、何を感じますか。 5. あなたもまた、パリサイ人のように神様に集中できず、信仰生活の規則だ けを守ろうとしていることはありませんか。 6. あなたが守ろうと努力している信仰生活の規則は何ですか。その規則の本 当の目的を忘れないために、どのような決断をしますか。
<人生の実を刈り取って> 私たちが信仰生活の中で、神様の愛と隣人愛を失ったら、機械的な規則 だけが残り、その規則は自分と隣人を圧迫するようになります。もし、 規則が守れているかいないかだけを確認し、規則を規定する目的を失っ てしまったら、これは決して正しい信仰生活の姿ではありません。私た ちは信仰生活の規則は、正しい道から外れないように建てられたガイド ラインであるという事実を認めなければなりません。登山の道の案内の 綱は、安全を守るところに有用ですが、案内の綱をみるために、登山す る人はいません。それと同じように規則を守ることは正しい信仰生活の ために有益ですが、規則自体が目的にはならないのです。私たちはイエ ス様が見せてくださった本当の愛を回復するために最善の努力をしなけ ればなりません。ただ主とともに歩くこの道に神様の恵みがたくさんあ るように願います。
|
|
|
目録
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|