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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2012-04-24 2012年 4月号 2週次_キリストが復活された 365QT 2236
キリストが復活された
コリント人への手紙第一15章1節~11節


* 心の扉を開き

コリント人への手紙第一15章は、イエス・キリストの復活についての内容を扱っています。私たちの信じる福音の核心はイエス・キリスト死と復活に関することです。コリント教会はすでにこのことを十分に知っており、信じてもいますが、使徒パウロはこのことをもう一度ここで強調しています。彼は、イエス・キリストの死と復活についてさまざまな主題を織り交ぜながら扱っていますが、まず最初に扱っている主題はまさに「復活は事実である」ということです。まずこのことを語ることにより、私たちが信じ、宣べ伝えている福音が真実であるということをはっきりさせ、私たちの復活に対する望みも明確になるからです。


*みことばの種まき

1.使徒パウロは、コリント教会にすでに伝えた福音を、もう一度悟らせます。コリント教会の信徒たちに、この福音をもう一度伝える理由は何ですか(2節)。

:使徒パウロが伝えた言葉、すなわち、「福音をよく考えもしないで信じたのでなく、そのことばをしっかりと保っているなら救われ、しっかり保っていなければ、彼らの信仰が空しいものになるから」です。救いを得る信仰は、福音を信じる信仰です。

2.使徒パウロがコリント教会に伝えた福音の核心は何ですか(3~4節)。

:使徒パウロがコリント教会に伝えた福音は、聖書が示すとおりにキリストが私たちの罪のために死なれたこと、葬られたこと、また三日目によみがえられたことです。

3.コリント教会に伝えた福音が何であるかを説明しながら、使徒パウロはキリストの死と復活は「聖書の示すとおりに」起こったことを強調しています。彼がこのように強調している理由は何ですか。(使徒2:25~32 参照)

:イエス様の死と復活が、聖書の預言の成就であることを強調しています。これは、イエス様の死と復活が偶然に起こったできごとではなく、すでに聖書において預言されていたことを意味します。イエス・キリストの死と復活は、別の神話を作り出すための捏造ではなく、神様の計画の成就であったということを明らかにし、復活が事実であることを強調しています。

4.使徒パウロは、キリストが復活された事実を実際に見た人が多くいるということを語っています(5~8節)。このように、多くの人を証人として立てる理由は何ですか。(申19:15参照)

:このように多くのことを取り上げて論じるのは、復活が事実であるということについて、反論の余地がないことを示すためです。申命記19章15節を見ると、二人、または三人の証言によって物事が立証されると言っています。使徒パウロは、復活を実際に見た人たちを挙げ、これ以上異論の余地がないことを明らかにしています。

5.復活は事実なので力があります。この復活を経験した人は変わります。復活されたキリストが最後に現れたパウロには、どんな変化がありましたか(9~10節)。

:使徒パウロはかつて神様の教会を迫害していたので、使徒という名で呼ばれることにすら負担を感じていました。復活されたキリストに出会ったあと、彼の人生は変わりました。神様の恵みを知り、他の人たちより苦難にも多く会いましたが、それもまた恵みであることを告白する人と変わりました。そして、その復活を証言する証人となりました。復活は、私たちを救ってくださる神様の恵みであり、人をつくりかえる神様の御力です。

6.復活は神様の恵みです。使徒パウロは、彼が経験した神様の恵みにより、どんな人生を生きていきますか(10~11節)。パウロのような、恵みを受けた者の人生を私たちも歩むことができます。そのことが期待できる理由は何でしょうか(2、11節)。

:使徒パウロは、神様の恵みの大きさを知ったので、その恵みが無駄にならないように、力の限りを尽くして労苦します。そして、その復活を経験した人であれば、パウロでも他の人でも、誰でもこの復活を伝える人生を生きていきます。私たちもまたパウロのような深い献身者としての人生を歩むことができますが、それは、私たちもまたイエス・キリストの復活を信じることにより、恵みによる救いを得たからです。


*生活の実を刈り取り

コリント教会には、復活はないと言う人たちがいました。ともすれば、現代の教会にもこのような部類の人たちがいるかもしれません。復活の事実よりも、復活が持っている希望のメッセージを重要視し、強調します。もちろん、復活が持っている意味は、とても重要です。しかし、復活が歴史的事実でなければ、それは人によってねつ造されたものとなり、作り物の粗雑な話に過ぎないということになってしまいます。復活を歴史的な事実と認めないならば、そこには人を救う力はありません。復活が歴史的な事実であるがゆえに、救いの力があり、意味があるのです。復活が事実であるがゆえに、人を変化させる神様の恵みが、そのただ中にあるのです。
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