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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2017-12-08 |
2017年 12月号 2週次 |
365qt |
972 |
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恵みの御座の前で へブル人への手紙 4:14~5:10
<心の扉を開いて> 私たちのたましいが飢え乾いてしまわないために何よりも必要なのは恵みです。恵みとは、辞書的には「愛によって施されるケアや恩恵」、「人類に対する神の愛」を意味します。これを土台として恵みについてじっくり考えてみるとき、私たちは神様が与えてくださる愛を限りなくいただける者たちだということになります。ですから聖徒たちは日々神様の愛を覚え、恵みの乳が途切れないようにしなければなりません。今日の本文を通して、私たちが行わなければならない行動の模範がだれであるか、恵みの乳が乾かないようにするために何をすべきか考えてみる時間を持ちましょう。
<みことばの種をまいて> 1. へブル人への手紙の著者が述べているイエス様の役割は何でしょう。イエス様のこのような役割によって、私たちがすべきことは何か、とるべき態度はどのようなものかを考えてみましょう(4:14~16)。 - イエス様は私たちにとって偉大な大祭司であると述べている。大祭司は私たちの弱さに同情できない方ではない。すべての点において私たちと同じように試みに会われた方。そして罪を犯されなかった方。 - 私たちはあわれみを受け、おりにかなった助けを受けるために大胆に恵みの御座に近づかなければならない。
2. 大祭司の条件は何でしょうか。大祭司になるために、このような条件が必要な理由は何でしょう(5:1)。 - 大祭司は人の中から選ばれた。ですから人々の中に限られた職分である。 - 大祭司が人間でなければならない理由は、人にだけ限られた職分であるから。また人類を代表して神の前に出ないといけないから。ですから主が、人のすがたでこの地に来られたのも人類を代表する役割を果たすため。
3. イエス様がこの地におられるとき、イエス様は神様に対してどのようにされましたか。イエス様が神様の前にそのようなされた理由は何でしょう(5:7)。 - 自分を死から救うことのできる方に大きな叫び声となみだとをもって祈りと願いをささげられた。 - イエス様は神の子であったが、この地において完全な人であったので、ほかの人が感じる感情をそのまま経験され、悲しみも経験された。なのでイエス様もこの地におられる間、全的に神様により頼まれた。そして涙の祈りをもってご自身の必要を満たすために神様に祈られた。 4. 神様はイエス様のことを誰と同じような大祭司と呼ばれましたか。神様がこのように呼ばれた理由は何でしょう(5:10、参照/ 7:3)。 - メルキゼデクとおなじ大祭司と呼ばれた。 -メルキゼデクと等しいと言われる理由は、イエス様の大祭司の職分の本質がメルキゼデクと同じであるということだ。彼は、父も母もなく、系図、始まりも終わりもない。イエス様と同じように永遠なる大祭司である。イエス様の大祭司職は、律法にしばられ、与えられた職分でなく、神様によって立てられたということを確認できる。 5. 大祭司であられるイエス様も、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげられました。毎日の生活のなかで、恵みを求めて生きていますか。 6. 自らの力では恵みを維持することができないので、教会で備えられた恵みの場所に参加、出席し続けることは非常に重要です。私たちが準備されている恵みの場所に対し、どのような態度、姿勢で臨んでいるかを思い起こし、互いに分かち合ってみましょう。
<人生の実を刈り取って> 神様は私たちをあわれんで下さり、おりにかなった助けを与える恵みを備えてくださっています。このために大祭司であるイエス様だけを見上げ、恵みの御座の前に大胆に進み出る訓練が必要です。礼拝の場所を慕い求め、養育や訓練にまい進するとき、神様が下さる恵みは尽きることなく注がれます。恵みは、神様が望まれる道に進み、神様が喜ばれるこ とをするとき、十分に味わい楽しむことができます。またひとりで守っていくことが難しいので教会で準備された恵みの場に積極的に参加することも、恵みを維持することのできる一つの方法です。私たちみなが、大祭司であられるイエス・キリストを模範にして、常にイエス様の道に従い、恵みの場を慕い進み出る主の弟子となれるよう、求めていきまし ょう。
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目録
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