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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2017-12-08 |
2017年 12月号 1週次 |
365qt |
965 |
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みことばに対する正しい態度 へブル人への手紙 1:1~2:4
<心の扉を開いて> 私たちの日常を見てみると、一日がどのように過ぎ去ったかわからないほど忙しい日々を送っています。いつも睡眠不足で、周囲を振り返る余裕もありません。しかしあわただしい生活の中でも、忘れてはならないことは、自分の生活の方向がどこに向いているか、何に価値を置いて生きているかということに対する問いかけです。もし私たちが神様中心に生きることを決断しているなら、自ら点検してみなければなりません。日曜日の礼拝、小グループの聖書勉強、家庭礼拝、QTなどにどのような思いで臨んでいるか、神様のみことばにどのように応答しているか、今日の本文を通して自分の姿を振り返ってみましょう。
<みことばの種をまいて> 1. 神様が御子を通してされたことは何でしょう。神様の御子が行わなければならない役割を通して、知ることができる事実は何ですか(1:2~3)。 - 御子を通して私たちにお語りになられ、万物の相続者として作られました。また御子によって世界を作られました。また万物を保っておられる方です。神の御子は時代を超えてすべての創造世界と密接な関係をもっている方であることをへブル人への手紙は、証明しています。
2. 神様の御子が御使いよりもすぐれている理由は何でしょう。著者がこのことを通して言おうとしていることは何ですか(1:4)。 - 神様の御子が御使いよりもすぐれている理由は、だれよりもすぐれた御名を相続されたからです。これはイエス様が、創造の初めからおられ、当然に受けるべきことを受けられたということを伝えようとしているのです。
3. へブル人への手紙の著者はなぜ旧約聖書を直接引用して自らの主張を裏付けているのでしょうか(1:1)。 - へブル人への手紙の著者は、旧約聖書を引用するときに、「記録されている」ということのかわりに「語られる」と述べている。著者は旧約聖書を単純に歴史的な文書のレベルとしてではなく、神様の生きている声とみなしている。それでへブル人への手紙の著者は、旧約聖書を直接引用している。
4. へブル人への手紙の著者は聞いたみことばに対してどのような態度をとるべきであると言っていますか(2:1)。彼がこのように主張する理由は何でしょうか。 - 著者は、神のみこえを聞くとき、しっかりと心に留めるようにと言っている。それは単にメッセージとして聞くのではなく、旧約聖書が神様の声なので、神様の声を直接聞く人のような姿勢が必要であると主張している。
5. 神様から与えられたみことばをすぐに忘れたり、聞き流したりしないようにするために今までどのような努力をしてきましたか。分かち合ってみましょう。 6. 私たちが、神様のみことばによってもっとしっかりとたてあげられていくために、決断しなければならない部分は何かを考えて、分かち合ってみましょう。
<人生の実を刈り取って> イエス様がだれであるか正確に知ろうとする努力は、聖徒として当然持たなければならない態度です。へブル人への手紙の著者は主のみことばに大きな関心を持たず、みことばを聞いてもただそのまま聞き流してしまう態度について警告しています。もちろん忙しい日常生活において、主のみことばに集中するということは簡単なことではありません。しかし生活の優先順位を神様において、みことばの前に徹底的に注意を傾けようと努力をするとき、神様のみことばを通して私たちの内面が強くされていくのです。主日の礼拝、祈祷会、早天祈祷会やQTなど、神様のみことばを聞く時間に、積極的に応答していきましょう。このような姿が私たちの中に満ちていくとき、神の民としてふさわしい姿でゆるぎなく生きていくことができるようになります。
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目録
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