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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2017-11-03 |
2017年 11月号 4週次 |
365qt |
1136 |
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悲しみの歌が希望の歌に 哀歌 3:1~24
<心の扉を開いて> いろいろな困難が周辺を取り巻いている状況を「四面楚歌」と言います。私たちは一つ二つの問題なら適切に解決できるかもしれませんが、状況が複雑になり、問題が押し寄せてくると、だんだん手も足も出なくなり、困り、落胆していきます。ユダの状況はこのような四面楚歌の状態でした。しかしエレミヤは国が滅亡し、神様のエルサレムが陥落する状況で悲しみの歌を歌っているとき、急に希望を語り始めます。彼がなぜ悲しみの歌を希望の歌へと変えることができるのか、みことばを通して学んでみましょう。
<みことばの種をまいて> 1. 主の怒りによって苦難と絶望に置かれているのは誰であると強調していますか(1、18節)。 - 「私」。1節で語っている通り苦しみを受けた者は「私」である。自分の苦痛について羅列したあと、18節ではだから私の希望は消え失せたと言っている。
2. エレミヤは自分が直面している多様な苦しみを思い出しては沈むと語っていますが、何を思い返し、何を待ち望むと言っていますか(19~24節)。 -苦よもぎと苦味、つまり自らの苦しみを思っていると落胆してしまうが、主の恵みを待ち望むときそれが希望になると言っている。
3. エレミヤに苦しみを与えるのは誰でしょうか(1~18節)。 -1~18節にかけて、繰り返し自分の苦しみについて語っているが、18回にわたって、主がしてくださったことに対して語る本文でもある。 - 著者は自分に苦しみについて語っているが、その中で18回も繰り返して主を思い出している。主のご性質を知っている哀歌の著者は、自分の苦しみについて語るところから、主について語るところへと意識が移っている。
4. 自らの苦しみに集中していた人が、苦しみを与えられた方が主であるにもかかわらず、主への恵みを告白している姿から何を感じますか。 5. 困難が襲ってきて、どうしていいかわからないとき、神様がその状況を治めておられることを思い起こし、望みを回復したことがあれば、分かち合ってみましょう。 6. 苦しみを与えられた方が神様であるとういことを記憶するとき、不平不満を言わず、むしろ望みを抱こうとするなら、普段、神様がどのような方であるのかをしっかりと知っておく必要があります。そのために今日具体的に何を決断すべきでしょうか。
<人生の実を刈り取って> 神様のご性質を覚えることは、私たちを取り巻く苦しみから自由になり、希望をもつことができます。他の人から聞いた知識だけで神様を理解しようとするのではなく、絶望の中で、神様がどのようなお方であるかを思い起こし、希望を回復することができるようでなければなりません。ですから普段、みことばを通して神様を深く黙想し、周囲の人たちに神様のご性質とみわざを伝えることが非常に重要です。小グループの中で神様のあわれみ深いご性質について共有できるように、神様に対する黙想を基礎とした信仰告白と証しを分かち合えるように努力しましょう。失望と絶望のなかでも希望を与えてくださる神様だけを賛美し、歩みましょう。
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目録
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