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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2017-10-27 2017年 10月号 5週次 365qt 942
恵みと成功を体験したとき
列王記第二 20:1~19

<心の扉を開いて>
私たちは神様から特別な賜物をいただいた人や、奇跡を経験した人、また、神様から恵みで高い地位に就いたとか、大きな財産を築いた人たちの証しを聞くと、それを模範として自分もそのような体験をしたいと考えます。神様から驚くべき力を与えられたサムソンや、聖霊をうけて預言をしたサウル王を信仰の模範とすることは、まれなことです。「神様の大きな恵みをいただいた人」ということだけで、私たちが手本とすることは、真の信仰者の姿ではありません。神様に仕える信仰者に本当に必要な徳目とは何か、考える時間をもちたいと思います。




<みことばの種をまいて>
1. ヒゼキヤに起きた二つの奇跡は何ですか。このような奇跡を体験したヒゼキヤの心はどうだったでしょうか (1~11節)。
- ヒゼキヤは死の病にかかり、預言者イザヤに必ず死ぬと言われましたが、祈って病はいやされた。神様は彼のいのちを15年延ばしてくださり、エルサレムの町を守るという神様の約束を得た。 
- 神様がヒゼキヤに与えてくださった約束へのしるしとして、太陽が十度あとに戻るという奇跡が起こった。
- ヒゼキヤは祈りが答えられ、死の病がいやされただけでなく、太陽が後戻りするような奇跡まで体験しながら、神様の恵みを体験して喜んだはずだ。

2. ヒゼキヤはバビロンから訪ねてきた使いに何を見せましたか。イザヤはヒゼキヤの行動がどのような結果をもたらすだろうと言っていますか(13、17~18節)。
- ヒゼキヤは、自分の宝物倉をはじめすべての宝を見せた。
- イザヤは、これからバベロンが、ユダを攻め、王宮のすべての宝を持ち去り、王の子孫の中でバビロンの王宮で宦官となる者がでるであろうと預言した。つまりユダがバベロンによって滅ぼされることを預言した。


3. ヒゼキヤがバビロンの使いたちに宝物倉のすべてを公開したのはなぜでしょう。
- ヒゼキヤは、バベロンが自分たちを攻めるには遠い場所にいると考え、宝を見せることで、自分たちが富んでいることを示したかったのだろう。自分は、特別に神様の恵みを得て、アッシリヤの侵攻をさえぎり、死の病を克服し、このように堅固な王政を維持していることを自慢したかったのだろう。



4. ヒゼキヤはイザヤの預言に対してどのように反応しましたか(19節)。神様の恵みを何度も体験したヒゼキヤが、イザヤの預言にこのような反応を示した理由は何でしょう。
- 自分が生きている間は、平和で安全であるだろうと考え、主のことばはありがたいと答えた。
- いろいろな考えが出て来るはずである。ヒゼキヤは、神様の驚くべき奇跡を体験したあと、高ぶりと自己中心の思いで述べたことだ。ヒゼキヤは自分が死んだあとに起ることは遠い未来のことだと考えた。バベロンは遠いところにある国だから危険ではないと考えた。贈り物をもってきた使者を見て、自分の富と力をみせたかったのだろう、などの考えがでてくるはずだ。
- ヒゼキヤはよい評価を得た王でありアッシリヤの侵攻を信仰によってさえぎり、祈りによって死の病を克服までもしたにもかかわらず、このように自己中心な態度をもって先のことをみることができなかったことを見ながら、どのような考えをしたか自由に分かち合う。

5. 神様があなたに体験させた驚くべきことが、むしろ、自分を傲慢にさせてはいませんか。神様がくださった財、健康、地位などを、自分のものと考えて、他人に誇って生きてはいませんか。
6. 私たちそれぞれが、神様からどのような恵みを受け取っているのか考えてみましょう。もし受けた恵みのせいで傲慢になっているなら、そこから立ち返るために、何を実践できるか考えてみましょう。


<人生の実を刈り取って>

神様から多くのものを受けた人であるほど、もっと慎重に、謙遜に、主と兄弟姉妹に仕えるべきです。しかし現実では、むしろ、傲慢になり自己中心になり、行動する人が少なくありません。多くの恵みを受けたと言いながら、むしろそれを誇る人たちによって教会は傷つき、世の攻撃に弱くなってしまいます。私たちはヒゼキヤのように自己中心の態度をとっていないか反省してみなければなりません。私たちの視野を自分の人生にだけに制限せず、全世界の主である私たちの神様のために、与えられたものをどのように用いるべきなのかを考えてみることをお勧めします







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