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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2017-08-04 2017年 8月号 2週次.... 365qt 964
敬虔な人の選択
列王記第二 3:6~12

<心の扉を開いて>
神の民は世で生きるために遣わされました。それで名目だけでクリスチャンであるという不敬虔な人たちや、信仰のない人たちとも交わりをしなければならず、場合によっては彼らと助け合って生きなければならないのです。この時に、どこまで協力をしてどこで線引きをしなければならないのか、どのようにそのところでイエス様の弟子としての振る舞いをしなければならないか、判断することは、簡単ではありません。敬虔なユダの王、ヨシャパテも、名目上だけでは神様を信じるイスラエルの王ヨラム、異邦人であり信仰のないエドムの王とともに戦わなければなりませんでした。ここにあらわされているヨシャパテの態度はクリスチャンがこの世でどのような基準と態度を持たなければならないか、よくあらわしています。本文を通して信じる者が持つべき基準と態度について、ともに考えてみましょう。

<みことばの種をまいて>
1. イスラエルの王ヨラムは、ユダの王ヨシャパテにモアブに戦いに行こうと提案をしました。その提案にヨシャパテは、どう答えていますか(7~8節)。ヨシャパテがこのように答えた理由は何ですか。
― ヨラムの提案に対してヨシャパテは、「私とあなたとは同じようなもの」と積極的に答えた。ヨシャパテがこのように答えた理由は、現実的なメリットがあったから。

2. イスラエル、ユダ、エドム連合軍にどのような問題が起きましたか。困難に直面したヨラムとヨシャパテの態度はそれぞれどのようなものでしたか。どう違っていましたか(9~11節) 。ヨラムとヨシャパテの態度にこのような差があるのは、どうしてでしょうか。
― 陣営と家畜のための水がなくなった。ヨラムは、この原因は神様にあると言って嘆き、ヨシャパテは、主のみこころを求めることのできる預言者がいないか探した。
― ヨラムは、問題にあったとき、それをいつも神様のせいにしていた。しかしヨシャパテは、あやまった選択のゆえの戦いであったが、そのような状況の中にあっても神様によりたのみ問題を解決しようとする者だった。

3. エリシャの存在を知っていた人はだれの家来でしたか。彼がだれの家来であるか、列王記の記者ははっきりと書いていますが、その理由は何でしょうか(11節)。
― イスラエルの王ヨラムの家来だった。
― 預言者エリヤについて北イスラエル側ではよく知っていたことを示しており、神様のことが分らずに依頼したことではないことを明らかにするため。

4. エリシャを紹介されたヨシャパテは、どのような言葉を語り、どのような行動をしますか (12節)。ヨシャパテがヨラムの提案を受けるときと、困難の前での姿には、どのような違いがあるでしょうか。なぜこのような変化が起こったのでしょうか。
― エリシャには、主のことばがともにあると述べながら、イスラエルとエドムの王とともにエリシャを探しに行った。
―ヨシャパテは、戦いの提案を受けたときは、まるでヨラムの家来のように言い、従いましたが、ここでは王たちが預言者を探すように導いている。
― ヨシャパテがこの戦いに加わったことは、神様の御前に正しいことだったのかについては意見が分かれるところです。しかしたとえ戦いに加わったことが正しい選択でなかったとしても、彼は問題にであったときに神様を求めることが重要なことであることを確信していたので、積極的に王に対して働きかけたのである。

5. あなたは名目上のクリスチャンや、信仰のない人たちとともに対話をしたり、仕事をしたりするとき、聖書の基準や価値観を提示することを恥ずかしく思ったり恐れたりすることはありませんか。
6. どのようにすれば信仰のない者たちや、信仰を生活に適用することを嫌がる人たちに、聖書の教えに従うように勧めることができるか考えてみましょう。職場の同僚や、隣人に神様のみことばが生活の解決策になったという事実をどのように語りますか。またしめすことができますか。考えてみましょう。


<人生の実を刈り取って>
ヨシャパテがヨラムとともに参戦したのは、神様の目に正しいことであったのか、正しくないことであったのかについては、論議の余地があります。しかし仮にヨラムに屈服して参戦したことがヨシャパテの失敗だったとしても、彼らが直面した困難の前で、彼の信仰は光を放っています。名目上の信仰人であったヨラムと、信仰のない王を引き連れてエリ者を訪ね、みなを救うことができたのです。私たちも世で神様を認めない人たちとともに歩み、世の論理に従って働いています。しかしその中で、神様の法則が何であるかを日々知って、そのことこそみなを救うことのできる道であるということを確信して彼らを主に導かなければなりません。

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