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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2017-06-30 2017年 7月号 1週次 365qt 1030

私たちの父なる神様
ガラテヤ人への手紙 1:1~5

<心の扉を開いて>
いつの時代、どの地域、どの集団でも、似たような者同士で勢力を形成し、自分たちと異なる人たちを排斥する悪い性質があるのが見られます。初代教会には、救いはユダヤ人にだけ与えられたもので、異邦人が救われるためには割礼を受けて律法を守らなければならないと主張する人々(ユダヤ主義者)がいました。聖徒の大部分が異邦人であったガラテヤ教会は、このような教えを聞き、今まで生き方を完全に変え、ユダヤ人のように生きなければならないのだろうか、と、大きな混乱に陥ったのでした。パウロが、この知らせを聞いて書いたガラテヤ人への手紙の冒頭だけを見ても、彼が何を教えようとしているのかを推測することができます。パウロが教えようとした真理が何かについてともに考えてみましょう。


<みことばの種をまいて>
1. パウロは神様をどのような方だと言っていますか。またキリストはだれを救い出し、だれの罪を贖われたと言っていますか(1、3~4節)。
- パウロは3回、神様を「父」と呼んでいる。
- キリストは「私たち」を救い出し、「私たち」の罪を贖われた。

2. ユダヤ人であるパウロが、異邦人であるガラテヤ教会の聖徒たちに神様を「私たちの父」と呼び、キリストが「私たち」を救われたと言っているのはなぜでしょう。
- ユダヤ人であったパウロと異邦人であったガラテヤの聖徒たちは、互いに違いはなく、ひとりの父のもとにある子どもであり、同様にキリストの恵みに預かる者たちであることを述べるため。



3. パウロは自分がだれによって使徒となったと述べていますか。また彼が強く否定したことは何ですか。彼が同じ事実を強調したのはなぜでしょう(1節)。
- パウロハ、キリストと父なる神によって使徒となったと述べている。使徒職は人間から出たことではないことを強く否定している。
- 使徒職が、もし人間からでたことであれば、ユダヤ人や異邦人という区別は意味があるが、パウロの使徒職は、神によるものであり、彼がユダヤ人であるということは、重要なことではないという意味。また人が使徒を任命するのではないので、ユダヤ人が自分に対して資格を与えたりはできないことを、強調している。


4. 当時ユダヤ人たちは異邦人たちを犬に例えるほど、いみ嫌い、避けていました。ところがユダヤ人であるパウロが異邦人であるガラテヤ教会の人々を避けていないのはどうしてでしょう。
- 福音は、人間社会にある様々な壁を打ち砕く力があるから。
- パウロは、自分がユダヤ人だから使徒となったのではなく、神様の主権によって選ばれ使徒となったことを悟っていたから。
- キリスト者は、世の基準や壁にとらわれることなく、ひとつ兄弟として互いに愛し合わないといけないから。


5. 福音のうちにいる人々は政治的立場や文化的な違い、地域感情や貧富の差、社会的格差などの違いがあるにもかかわらず、みな一つの兄弟です。私たちのなかに、人間的基準をものさしにして差別する態度はないでしょうか。
6. 主にある兄弟姉妹が、互いに違っていることを認めながらも、キリストにあって一つになるために各自ができることは何でしょうか。この一週間具体的に実践できることはなにか、分かち合ってみましょう。


<人生の実を刈り取って>
ユダヤ主義者たちは、異邦人たちに自分たちと同じようになることを強要しました。しかしこれは、明らかに福音に逆らう行為でした。主にあって一つの兄弟になったということは、同じ考えと同じ行動をしなければならないという意味ではないのです。すべてのクリスチャンは、今あるその姿そのままで神様から生まれ、イエス様の恵みを着せられた者たちです。ですから主にあって、私たちは、出身背景や社会的地位、政治的傾向などの違いを互いに認め、受け入れ合い、互いを分け隔てる基準としてはいけません。今まで自分と違う人に対して、どのように考え、接してきたかを省みて、互いに受け入れ合うために、どのような努力が必要であるかを深く考えてみる時間を持ちましょう。


真理は日々大胆な歩みに導く
ガラテヤ人への手紙 1:6~24

<心の扉を開いて>
イエス様の弟子は、どのような状況にあっても、みことばを心の中心に据え、伝えなければなりません。多くのクリスチャンたちに信仰生活の中で一番難しいことは何かとたずねてみると、「伝道」という答えをよく耳にします。なぜなのでしょうか。多くの世の人たちが真理を求めているはずなのに、それを伝えることを恐れるのは、伝道者の人生が孤独なものであるからという理由もあるでしょう。また福音を伝えることは、人々が好んで耳を傾けるような話ではないので、難しさを感じるのかもしれません。しかしこのような態度は主が望んでおられるものではありません。真理に出会い、人生が変えられたパウロの姿を見て、自分自身を振り返る時間を持ちましょう。

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