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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2016-10-04 2016年 10月号 3週次 365qt 82
마음의 문을 열며
人生の中で、目的と手段がすり替わってしまうということが起きてしまうことがあります。たとえば一生懸命に働いて報酬を得たり、家事をする理由は、愛する家族のためですが、懸命に働くとむしろ、家族関係の喜びが失われてしまうといったようなことが起ったりします。目的と手段がすり替わってしまうことは、神様に仕え、聖なる人生を生きるための敬虔の生活においても起きうることです。このようなことは、イエス様の時代のユダヤ人たち、特にパリサイ人たちにもよく見られたことでした。イエス様はこのような問題に対してどのように教えられ、私たちも信仰生活において、目的と手段がすり替わってしまうことがないようにするために、どのような努力が必要なのかを考えてみましょう。

말씀의 씨를 뿌리며
1.弟子たちは安息日にどのような行動をしましたか。パリサイ人たちはこれに対してなんと言いましたか(1~2節)。
-弟子たちは安息日にイエス様とともに麦畑を通りかかり、ひもじくなり、穂を摘んで食べました。パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちが安息日にしてはならない事をしていると言いました。

2.イエス様はダビデのどのような行動を取り上げて、パリサイ人たちの攻撃に応えましたか(3~4節、参照/Ⅰサム21:6)。またイエス様は、どのような状況であれば、安息日を犯しても罪にはならないと言いましたか(5節)。
- ダビデはサウルに追われていたとき、ひもじくなり、神の家に入り、祭司のほかは食べてはならない供え物のパンを自分と共の者たちのためにとって食べたと言いました。ダビデの例に続いてイエス様は祭司たちが神殿では安息を犯しても罪にはならないと言われました。

3.ダビデが「供え物」のパンを食べたことがゆるされた理由は何でしょうか。また祭司たちがささげものの儀式を執り行うとき、安息日に火をたいてはならないという命令(出35:3)を犯しているように見えますが、それがゆるされている理由は何でしょうか。

-律法の精神に違反することがなかったからです。律法は文字的に適用するものではなく、その精神がどこにあるのかを知って、そこに従わなければなりません。供え物のパンはもともと祭司たちだけが食べるものですが、一週間が過ぎ、外に出されたものを食べることで、命を救う事ができるのならば、律法の精神に反することにはなりません。また、祭司たちが安息日だからということで祭壇の火をたかなかったならば、神様にささげものをささげることができません。

4. イエス様はご自身のことをどのように話していますか(6、8節)。ユダヤ人社会でこのような発言は身を危険にさらすことになるかもしれないことでしたが、なぜイエス様はあえてこのように言われたのでしょうか。

- イエス様は神殿よりもっと大きな方で、安息日の主であられます。
- 律法条項と安息日を守ることが核心ではなく、王であられるイエス様に仕え、イエス様のみこころに従うことが核心であるという事実を語るためです。重要なことは、主はどのように行われ、私たちがどのように行えば、イエス様が喜ばれるかを考えるところにあります。

5.パリサイ人のように二次的なことのため、神様に仕える本質的なことをおろそかにしてはいませんか。また、目的と手段がすり替わってしまって、イエス様を喜ばせることを面倒に思ったりしたことはありませんでしたか。互いの経験を分かち合ってみましょう。

6. 日常においてくり返される生活と、長期的な働きの中で、どのようにイエス様に仕えることができるかを考えてみましょう。この一週間、これを実行するための目標を立ててみましょう。

삶의 열매를 거두며
私たちの日常のすべての瞬間がわくわくして、胸がどきどきすることでいっぱいなわけではありません。習慣化され、くり返され、まるで規則のようになっていることが、生活の多くの時間を占めています。教会で奉仕することも全く同じ様相を見せていることが多いです。しかしこれは間違ったことではありません。ただ、なぜこのことをするのかという本来の目的を失っているにもかかわらず、それに気付かないことがあれば、それは過ちです。そしてその目的を失っているにもかかわらず、自分だけでなく、他人にまでそれを要求したり、反対に押さえつけたりするようなことが問題です。私たちの敬虔の生活と働き、そして日常生活の中でこのように、その目的と精神は失われたままで、意味なくくり返されることはないか、振り返ってみましょう。目的意識を回復しなければならないことは回復し、捨てることは捨てるという変化がある一週間になるよう願います。

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