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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2016-08-29 |
2016年 9月号 3週次 |
365qt |
1107 |
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GBS 3과 마태복음 6:1~8 施しと祈りの大原則
마음의 문을 열며 人々は誰かから認められたいと願うものです。特に信仰生活において、代表的な姿である施しと祈りを通して多くの人たちはほめられたいと思い、また励まされたいと願っています。励ましと賞賛は共同体を健康に立て上げていくために、私たちの中に必要な部分です。しかしイエス様が私たちに語ってくださった施しと祈りの姿は、人からの励ましと賞賛とは違っていることを知ることができます。本文を通してイエス様が語ろうとされている施しと祈りの本質的な部分が何なのか、これを通して私たちがどのようにこの分野について働きを担っていくべきかを考える時間を持ちましょう。
1.イエス様は、弟子たちに何を注意するようにと言っていますか。施しをするとき、何を避けるよう言っていますか(1、3節)。もしこれを守れない場合には、どのような結果になるでしょうか(1、4節)。 -人に見せようと、人前で善行を行わないようにと言われた。施しをするとき、人にほめられたくて偽善をする者たちが、人から栄光をうけようと会堂と通りで施しをするように、自分の前でラッパをふかないようにと言われた。 -語られているとおりに守らない場合、点におられる父からの報いは受け取れないが、施しのときに求められていることを守るなら、隠れた所で見ておられる父があなたがたに報いてくださると言われた。 2.イエス様は祈るときに、何に注意するようにと言われましたか(5、7節)。また、祈るときに守るべき内容は何でしょうか(6節)。 -イエス様は、祈るときに偽善者のようにしてはならないと言われた。異邦人のように同じことばをただくり返してはならないと言われた。 -奥まった部屋に入り、戸をしめて、隠れた所におられる父に祈るようにと言われた。 3.施しと祈りにおいて、隠れたところでせよという言葉の意味は何ですか(4、6節)。なぜイエス様は弟子たちにこのような施しと祈りを求められたのでしょうか。 -隠れたところでせよという言葉は、秘密で行うようにという意味だ。これは施しと祈りのときに他の人たちの耳目を引かないために、演出したりする偽善者達のようであってはならないという意味を含んでいる。イエス様はこのように秘密に施しと祈りを行っても、神様はすべてを知っておられ、見ておられるのだということを語っており、弟子たちに、このように行いなさいと求めておられる。 4.異邦人たちは、なぜ同じことばをただくり返すだけの祈りするのでしょうか(7節)。なぜイエス様はこのように祈りの形態について、注意するようにと言われたのでしょうか。 -同じことばをただくり返すというのは、反復的、または魔術的な呪文を通して神を操ろうとする試みを意味している。ここでは無意味な音節をくり返すことものを意味しているが、これは神様が望む祈りではないからだ。神様はすでに私たちの必要な物を知っておられるので、、私たちが求めなければならないときも、必要を知らせなければならない。従って、呪文のように、文句を反復する祈りをイエス様は警戒された。
5.あなたは施しや祈りを人に見せるためにした経験がありますか。そのようにした理由は何ですか。またそのようにしたときの気持ちはどうでしたか。
6.私たちが施しや祈りをするとき、神様の前に正しい姿勢は何でしょう。今あなたが属している共同体を顧みて、神様が望む姿にふさわしい行動をするために、私たちは何を決断しなければならないでしょうか。
삶의 열매를 거두며 私たちは、施しと祈りをする理由をはっきりと知らなければなりません。私たちの施しは、困難の中にいる人を助けるためであり、私たちの祈りは神様に私たちの必要を求めることを意味しています。しかし義を人にあらわそうと努力をするなら、それは神様が望む方法ではありません。神様はすでに私たちの姿を知っておられ、隠れたところで見てくださり、それに報いてくださると語っておられます。一週間の生活を振り返ってみましょう。自分の中に、自分自身を表そうとした部分があったのならば、主の御前で悔い改める時間を持ちましょう。そして、神様が望まれるとおり、隠れたところで施しと祈りを懸命にして、主が願われる弟子に成長していくことが、私たちが進み行くべき道であるということを知っていなければなりません。
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目録
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