|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
|
|
|
|
|
|
|
2016-07-04 |
2016年 7月号 4週次 |
365qt |
1071 |
|
|
|
創世記 41:37~57 知識と実践の違い
「頭では知っているものの、手足が動かない信仰」に対する反省の声が高まっています。長年信仰生活を送ってきた人は、毎週説教を聞きますし、ラジオやインターネットなどを利用して神様のみことばを聞きます。しかし、知っている知識に比べて、生活はあまり変わらないのが実体です。長い間信仰生活をしていても、イエス・キリストに似つかないという非難の声も上げられます。色々な理由が考えられるでしょう。それでも、みことばを通して問題の核心を知ることができます。神様のみことばをよく知らない異邦人が神様のみことばに従ったときに、どのようなことが起こるのかについて考えてみましょう。
1. ヨセフが夢の解釈をすると、パロとその家臣たちはどのような反応を示しますか(37、38、41節)。これは、昔ヨセフの夢を聞いた家族の反応と何が違いますか(参照・創 37:6~11)。 -ヨセフの夢を解釈することはできても、彼を受け入れられず、返って腹を立てた。
2. パロとその家臣たちがヨセフの解釈を受け入れ、彼を認めます。その結果、ヨセフはどうなりますか(47~49節)。 -ヨセフが解釈した通りに、7年の豊作が訪れた。ヨセフは穀物を海の砂のように非常に多くたくわえ、量りきれなくなったので、ついに量ることをやめた。
3. 7年間の豊作が終わりを向かえ、凶作がはじまると、人々はどうしますか(54~55節)。彼らは7年間豊作が続いたときに、パロが食料を貯蓄しているのを知りながらも、なぜ同じように食料を蓄えなかったのでしょうか。 -ききんがはじまると、エジプト全土がパロに食物を求めて叫んだ。人々はパロが穀物を蓄えているのを知っていながらも、豊作に酔い痴れ、ききんに備えなかった。
4. 飢饉に見舞われたときに、ヤコブの家も食料が尽きてしまいました(参照・42:2~3)。彼らはエジプトのうわさを聞いて、食物を蓄えることもできたはずです。しかし、パロとその家臣たち、ヤコブと彼の子どもたちがそれぞれ違う状況を迎えることになった理由は何だと思いますか。
5. 神様のみこころを知り、よく知っているみことばという理由で、満足してしまっていないでしょうか。神様のみこころを知ったときに、そのみことばをどのようにして生活に取り入れているでしょうか。
6. 神様はみことばが神の民に公布するだけでなく、神の民が生活に取り入れることを願っておられます。神様のみこころを知るだけなく、みことばを実践するために、何が必要でしょうか。
異邦人であったパロとその家臣たちは、神様のみことばに聞き従ったときに、祝福されるのを体験します。それに比べて、昔から神様のみことばを聞いていたヤコブとその子どもたちは、みことばを理解する理解力があったにもかかわらず、実践しなかったために、飢饉による困難に直面します。多くの知識を蓄えることはよいことです。クリスチャンであれば、みことばを解釈する読解力も備えていなければなりません。しかし、いくらみことばを理解していても、信仰の成長の助けにはなりません。神様を知る知識とは、神様を分析し、みことばを解釈することにとどまらず、みことばを実践するなかで働かれる神様を体験することです。みことばが生活を変えるものとなるよう、最善を尽くしましょう。
|
|
|
目録
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|