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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2016-04-25 2016年 5月号 2週次.... 365qt 1204
すべては神様から、そして神様に
창 22:1~14

마음의 문을 열며
わたしたちは頻繁に「すべては神様から」という告白を耳にします。この言葉の通り、すべては神様からでており、神様のものです。またこの言葉は、神様が今まですべての必要を満たしてくださり、これからも必要のすべてを与えてくださるという、信仰と感謝の表現でもあります。ところが、この言葉は、頻繁に耳にしますが、簡単に口できる言葉ではありません。なぜなら、この言葉は命をかけた告白でもあるからです。あなたは、この言葉の重大性に気づいているでしょうか。今日のみことばから、「すべては神様のもの」という告白の真の意味が何であるのかについて学んでみましょう。


1. 誰の目から見ても、イサクはアブラハムの「すべて(everything)」でした。しかし、そのイサクをいけにえとして捧げなさいという神様の御声を聞いたアブラハムは、どう反応しますか(3節)。
- アブラハムは翌朝早く起きて、ろばに鞍をつけ、ふたりの若者とイサクと一緒に神がお告げになった場所に出かけて行った。

2. 全焼のいけにえのための羊はどこにあるのかというイサクの質問に、アブラハムは何と答えますか(8節)。アブラハムがそう答えた理由は何だと思いますか。
- アブラハムはイサクに全焼のいけにえは、神ご自身が備えられると答える。アブラハムは、今まで必要のすべてを神様が満たし、備えてくださったことを経験してきた。イサクも同じように、神様から与えられた賜物であることをよく理解していた。

3. アブラハムがイサクを全焼のいけにえとして捧げようとしたとき、神様はどうされますか(12節)。何が用意されていますか(13節)。
- 神様はアブラハムに、イサクに手を下してはならないと言われた。また、アブラハムが神を恐れることがよくわかったと言われた。アブラハムは一頭の雄羊がやぶに角をひっかけているのを見た。

4. ある意味でアブラハムは、自分のすべてであったイサクを全焼のいけにえとして捧げるようにと言われた神様の御声に従うことで、神の試練を乗り越えたことになります。アブラハムは、なぜ「試練を乗り越えたこと」よりも、「神様が備えられたこと」の方を強調しているのですか。
- アブラハムは、イサクが与えられることを長年待ち続けた。そのなかで、イサクが重要なのではなく、神様の契約が重要であることを知った。それゆえに、神様がイサクを含め、すべての必要を与えてくださったと告白している。

5. わたしたちが享受している財物、職場、地位、家族、健康、いのちはすべてから神様から与えられたものです。神様はこれらのものをいつでも与え、取られるお方です。だからといって、神の子らを破滅に導かれようとされているのではなく、より善いものを与えようとしておられるのです。このことを信じられますか。その信仰は何によって証明されますか。

6. 生活のなかで、神様が求められても未だ手放せずにいる何かがあれば、分かち合いましょう。すべては神のものであると、心から告白する者となれるよう、何ができるのかについて分かち合いましょう。

삶의 열매를 거두며
アブラハムがイサクをいけにえとして捧げようとした理由は、すべてを神様に捧げるという信仰の決断でした。彼の決断を目にされた神様は、イサクを彼の身元に帰されただけでなく、さらに祝福をお与えになりました。後に、イエス様も「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタ6:33)と言われました。神の御国を願う思いで、わたしのすべてを主にお捧しますという気持ちで生きるとき、神様はより豊かに満たしてくださるお方であることを確信できる者となりましょう。「これだけは手放せない」と思っているものがあるとすれば、この時間、すべてを神様の御前にお捧する時間をもちましょう。

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