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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2016-03-31 |
2016年 4月号 4週次 |
365qt |
1164 |
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創世記18:20~33 ソドムに向けた祈り
私たちの社会における最も深刻な問題はまさに道徳的な堕落です。世界の歴史を見てみると、道徳的に堕落した民族や国家は必然的に衰退したり、滅びたりしていることが分かります。また、私たちはその歴史の背後に罪を忌み嫌われる神様の摂理があることを信じています。神様はどんな場合においてもこの世界の罪悪と堕落に対して目をつむることはされず、必ず審判されます。ならば、私たちはこの堕落した世界にあってどのような心を持って何を実践しなければならないでしょうか。今日は神様とアブラハムの対話を通して、罪悪に染まった世界を見つめておられる神様の心を理解し、神の民である私たちがどのような心で何を実践すべきかについて考えてみたいと思います。
1.神様はソドムとゴモラについてどのような計画を立てられましたか(20~21節)。 ->神様の目にはソドムとゴモラに対する叫びは非常に大きく、その罪はきわめて重かったため、彼らの行ないがご自身に届いた叫びどおりであるかどうかを確認しようと語られた。
2.アブラハムは神様に何と質問しましたか。また、アブラハムがこのように語った理由は何でしょうか(23~25節)。 ->アブラハムは、正しい者を悪い者といっしょに滅ぼすのか、ソドムに50人の正しい者がいてもその町をお赦しにはならないのかと神様に問いた。アブラハムはソドムの町が堕落ゆえに神様に滅ぼされるかもしれないと直感し、そこに住む人々、特に甥のロトを救おうとした。
3.神様はアブラハムの質問にどのように答えられましたか。またそのあと、アブラハムと神様の対話はどのような内容で続けられますか(26~32節)。 ->神様は、50人の正しい者を見つけたら、その人たちのためにその町全部を赦そうと語られた。するとアブラハムは45、40、30、20、10人と数を減らしながら問い続け、神様はその度に、その人たちのために町全部を赦そうと語られた。
4.アブラハムが基準を下げながら神様に嘆願し続けた理由、また、神様がそれをすべて受け入れてくださった理由は何でしょうか。 ->アブラハムはソドムの人々がどんなに堕落していたかを知っていたため、自分の提示した基準が高すぎるという事実に気がついた。そのため彼は数を段々と減らし、甥のロトのために最後にはひと家族に相当する10人にまでその基準を下げた。神様も罪人を哀れんで長く忍耐される方であり、さらにアブラハムを認めておられたので、その祈りをすべて受け入れられた。
5.私たちが生きる世界の堕落した様子を見るとき、私たちはどんな態度を持って対処していますか。世界の悪を見て嘆息し、彼らを哀れんで神様にとりなしをしているでしょうか。あるいは彼らを非難し、指を差すような立場に立っていますか。
6.この国と社会のために神様に祈り求めるべき具体的な課題は何であるかを分かち合ってみましょう。また、その中で地の塩、世の光となるために私たちに何ができるかを考え、具体的な決断をする時間を持ちましょう。
ソドムに対するアブラハムの思いと神様のみこころは非常に似ています。アブラハムはソドムの罪深さについてすでによく知っていました。実は神様も、下って行ってソドムの罪深さを見ようとは語られましたが、すでによくご存じでした。アブラハムはそれでもソドムに住む人々を哀み、彼らの救いを求めました。神様もまた、ソドムをただちに滅ぼすことを望んではおられなかったゆえに“わたしは見て知りたいのだ”(21節)と語られたのであり、アブラハムの粘り強い祈りをすべて受け入れられたのです。もちろん、この世界もいつか神様の審判の前に立つことになりますが、私たちは罪の中にある人々をアブラハムと同じような心で哀れむ立場にいなければなりません。怒ったり、非難したり、指を差すことが当然のように感じられる世界ですが、私たちは彼らを哀れみ、彼らのために祈る者とならなければならないのです。
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目録
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