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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2012-04-24 2012年 4月号 1週次_第二の出エジプト- 出バビロン 365QT 2198
第二の出エジプト - 出バビロン
エズラ記 1章1節~11節


*心との扉を開き

信仰生活を長く続けていると、神様のことを教会や礼拝という分野だけに制限して考えてしまうことが多々あります。世の中の経済、社会、また政治的なできごともすべて、神様の御手の中にあるということを正しく認識できないのです。人間の視野は神様の視野と同じではないので、神様が世においてなされる御業を私たちは完全に知ることはできません。しかし私たちが生きている社会や、地球上で起こるすべてのことがみな神様の永遠なる摂理の中にあり、そのすべてがみことばに啓示されたということを認めるのはとても重要です。

聖書に記録されているできごとは、今私たちが生きている世の中で繰り返されているできごとと、大きな違いはありません。今日の聖書のみことばを通して、世を見つめる知恵を学んでみましょう。


*みことばの種まき

1.バビロンはクロス王によって滅ぼされました。この歴史的な変化は何のために起こされたのでしょうか(1節、エレ51:1~5 参照)。

:クロス元年とは、クロスが即位した年ではなく、クロスがバビロンを滅亡させ、ユダヤ人たちの新しい王となった年(BC 538)のことを言います。クロスがバビロンを滅ぼしその属国に対して寛容政策をとったことにより、民族はそれぞれの信仰を取り戻すことができました。また本来与えられた土地に彼らが戻ることができたのは、神様がエレミヤを通して与えられた預言の成就でした。

2.歴史的に見るとき、クロスが主である神様に仕える人でなかったことは、はっきりしています。しかし、クロスは自分が王国の王となった理由がどこにあると宣言していますか(2節)。

:クロスは、自分が王国の王となったのは、主である神様が世のすべての国を自分に与えてくださったからだと宣言します。クロスのこの宣言は、もしかしたらユダヤ人たちの歓心を買うための政治的巧言であったかもしれません。しかし、クロスが本当にそのことを信じていたか否かにかかわらず、彼にすべての国を与えられたのは神様であることは事実です。神様は、クロスの宣言を用い、世界の真の王であられることを現されました。

3.神様は、クロスを通してユダヤ人たちとその回りに住んでいた人々に、どんな命令を下しましたか(3~4節)。

:神様は、クロスを預言者のように用い、ユダヤ人たちにエルサレムに帰って神殿を建築するよう命令させました。またユダヤ人の居住地の周囲に住んでいる人々には、ユダヤ人が帰還して神殿を建てるための物資の援助をするように命じました。

4.クロスの勅令が下されると、ユダヤ人たちを含んだ多くの人々は、どのような反応を見せましたか(5~6節)。また、クロス王自身も自分の命令に対し行動を起こしましたが、それはどんなことだったでしょうか(7~8節)。この姿と、出エジプト当時のイスラエルの姿を比較してみましょう。(出12:35~36 参照)

:ユダとベニヤミンの一族は、帰還することを決めて出発の準備をし、回りの人々はユダヤ人たちを物質的に助け、ささげ物までもってきました。クロス王はバビロンが奪い取っていった神殿の用具をユダヤ人たちに返しました。これはイスラエルがかつてエジプトの財宝を持って出エジプトをしたのとよく似ています。エジプトを十の災難で打たれ、イスラエルを出エジプトさせたように、神様はクロスを通してパビロンを打ってユダヤ人たちを導き出し、これによりユダヤ人たちはバビロンの財宝を受け取って神殿を建てるための旅に出て行くことができるようになったのです。

5.当時のユダヤ人たちの立場で考えてみると、出エジプトはただの昔話だと考えることもできたはずです。しかし、それと似たようなできごとが自分たちに実際に起こりました。21世紀を生きる私たちにとって、聖書の記録が持つ意味は何でしょうか。

:出エジプトした時をBC1446年とすると(Ⅰ列6:1によると、出エジプト以後480年に神殿が建てられたが、これはソロモン4年、すなわちAD966年であるので、966+480=1446)、BC538年当時のユダヤ人たちの立場から見ると、およそ千年前に起こった出エジプト事件と同じことが、自分たちに起こったことになります。彼らにとってこれは驚くべき神様の御力を体験するできごとでした。不変の神様が同じ原則と計画をもって御業を起こされるなら、現在を生きる私たちも十分に聖書に啓示されている導きを体験できます。私たちは聖書の黙想を通して、私たちの目の前で起こっている現実を正しく解釈できるところにまで成長しなければなりません。

6.みなさんは、今日の聖書箇所を、単なる昔話であると思ってはいませんか。もし、これが神様のみことばであり、真理であると信じるなら、今私たちが遭遇し、目撃している世界全般で起こっていることを、どのような態度で見つめなければなりませんか。

:21世紀にも神様は全世界を治めておられます。人の目には全世界を治めておられる神様が見えず、世のできごとはすべて人の行為としてしか見えないかもしれません。しかし、そのすべてのことの上に神様の摂理があり、その法則が適用されていることを認めなければなりません。


*生活の実を刈り取り

神様は、私たちが考えているより、はるかに大きいお方です。世界の経済の流れ、政治的状況、さまざまなできごとは、ただ偶然の連続として起こっているように見えても、その背後には神様の摂理があることを告白せざるを得ません。これらすべての最終目的地は、神様の御国の栄光あふれる再建です。神様は、いつも変わらないお方であるので、同じ原則をもって世を導いておられます。私たちは神様の御心をすべて理解することはできませんが、聖書に啓示されている神様のご性質と摂理を理解すればするほど、世の中を神様の視覚で、もっとよく見つめることができることでしょう。
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