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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2015-07-29 |
2015年 8月号 4週次 |
365qt |
1426 |
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みことばの種をまいて 1.カナンの王ヤビンとの戦いを経て、士師デボラと将軍バラクが歌った歌のはじまりは何を歌っていますか?その人たちはどんな人物ですか?最も優れた人は誰ですか?(2~4節) → イスラエルの指導者たち、王たち。主によって彼らはみな王または指導者である。 これらの者のうち、もっともの優れた者は神ご自身である。
イスラエルが戦争をすることになった理由、また、当初戦うことが出来なかった理由は何ですか?(6~8節) → 戦争をすることになった理由は、民が新しい神々を選んだからだ。戦えなかったのは、イスラエルの民が困難を避けて隠れ、4万人の者たちのうち、先立って戦おうとするものがいなかったからである。
2.イスラエルの勝利は神様が与えてくださったものです。デボラとバラクはこの勝利を誰のために与えられたと言っていますか?王の王であられる主が正しいわざを成し遂げられる時、その恵みにあずかる民はどのように反応すると言っていますか?(8、11節) → 彼らはこの勝利を主の「正しいわざ、主の農民の正しいわざ」と言っている。主の農民とは指導者たちでもあり、もう先立って進もうとしない指導者たちのために、主がまず公義をなされたことが分かる。主が先に動かれたので、民ははじめて戦場である城門へおりて来た。
3.デボラとバラクが戦いを終えてこの歌を歌った理由は何だと思いますか? また、「主の民は城門におりて来た」という箇所を見て、何を感じますか? → イスラエルの民が恐れ、一つになって戦いに臨もうとしない姿をあらわにし、戦いにおいて神様が率先垂範する姿を表現することを追及した歌である。
4.社会生活をしていると、私たちは害をこうむるのではないかと恐れ、責任が伴うことを率先してやろうとしないものです。「私はこのことの責任者ではない」または、「私は人の先に立つような人材ではない」という合理化の罠に陥りやすいのです。もしかすると私たちも責任を人に押し付け、後ろへ引き下がってはいないでしょうか?
5.それぞれ違う種族であったイスラエルの人々のように、私たちもそれぞれが違う領域の歩みの中から神の民として、また召された指導者として生きています。それぞれに与えられた領域で、どのような戦いに自分が率先して立つべきかを分かち合ってみましょう。そして、それを躊躇させる心懸かりがあるとしたら、克服するために何をするかを分かち合いましょう。
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目録
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