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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2012-07-20 |
2012年 7月号 4週次 |
365QT |
2345 |
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1. パウロは自分の置かれている状況をどのように解釈していますか(12、13節)。 -パウロは牢に監禁されている状況である。このピリピ人への手紙は、パウロがローマに監禁されている時に記録された獄中書簡のひとつである。彼は監禁されたことにより、福音伝道のわざが前進したと見ている。
2. パウロは自分が置かれている状況が福音を前進させていると解釈していますが、その理由は何ですか(15~17節)。 -福音の前進は漠然とした期待ではなく、実際に現れたできごとを根拠としている。パウロによれば、自分の投獄によって二つの面で福音の前進があったと言っている。一つは使徒パウロの召しを知り、彼を愛するがゆえに福音を伝える人々がいたということ、もう一つは反対に使徒パウロを苦しめるためにキリストを宣べ伝えている人が現れたということである。
3. 監禁されている状況であってもパウロは喜ぶことができましたが、その唯一の理由とは何でしょうか(18節)。 -パウロが捕らえられた後も、宣教は中断されることなく、変わらずに福音が前進していっていることにより彼は喜んでいる。パウロを愛するゆえに福音を伝える人々がおり、その反対に彼を苦しめるためにキリストを伝える人々もいた。しかし使徒パウロの全関心は、自分の状況ではなく、キリストが宣べ伝えられることに集中していた。そのため彼は自分の置かれた状況の厳しさに関わらず、キリストが宣べ伝えられることを喜ぶことができたのである。 4.パウロが自分の人生すべてをささげて望む切なる祈りと願いは何ですか(20節)。 -パウロが持っている切なる祈りと願いは、自分が生きるにも死ぬにも自分の身によってキリストがあがめられることである。
5.キリストのため死ぬことも益であると告白しているパウロですが、彼がこの世に生きる理由は何でしょうか(24~25節)。パウロの言葉に照らして、私たち各自の生きる理由が何であるか、どこにあるかを分かち合ってみましょう。 -パウロは「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」と告白し、自分が生きること、死ぬこと、どちらもキリストの益のためであることを望んでいる。パウロは世を去って、キリストと共にいることがはるかにまさっていることを知っており、それを望んでいる。しかし彼は「あなたがた」のため、この世で生きることがもっと必要であり、また益であると語り、この世で生きることは生命への愛着から出るものではなく、彼が生きることがピリピ教会の信仰と喜びのために益となるためだと言っている。
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目録
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