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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2015-01-27 |
2015年 2月号 1週次 |
365qt |
1462 |
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ヨシュア 8:1~9 再び挑戦するときに忘れてはならないこと
みことば의 씨를 뿌리며 1. 神様は、アイの町での戦いのためにどのくらいの戦う民を連れて攻め上れと仰せられましたか。イスラエルの民が最初にアイの町を攻撃するときに予想した必要兵力は何人でしたか(1節、参照/7:3)。 -> 神様は、戦う民全部を動員せよと仰せられた。アイの町は小さな町だったので、イスラエルの民は最初の戦いでは三千人ぐらいで戦うことができると判断していた。
2. 神様は、イスラエルの民に具体的な戦略を説明してくださいます。その戦略とはどのようなものですか。この命令を受けたヨシュアがイスラエルの民に指示した内容をまとめてみましょう(2、4~7節)。 -> 神様は伏兵を置く戦略を立てるよう指示され、ヨシュアは神様の命令に従って具体的な計画を立てた。ヨシュアは、伏兵が町のうしろで待機し、ヨシュアとともにいる民がわざと逃げてアイの町の人々をおびき出し、そのすきをついて町を占領するよう命令した。
3. アイの町のうしろに配置された伏兵の数は何人ですか。最初にアイの町での戦いに参加した民の数と比べてみましょう。この違いから、何を感じますか(3節、参照/7:4)。 -> 伏兵の数は三万人だった。最初のアイの町での戦いのときは、およそ三千人がアイの町に攻め上った。伏兵だけでも、前回の戦いに参加した総兵力の10倍にもなる。最初の戦いで、イスラエルは自分たちの力を過信した。神様がともにおられるからといって、力を尽くさないのは誤った態度である。
4. エリコの町を陥落したときのような超自然的な奇跡だけでなく、伏兵作戦のように一般的な戦術を行うときも神様のみことばを求めなければならない理由は何ですか。 - 神様は、人間の日常の中でも働かれる。奇跡や人間の力ではどうしようもない領域についてのみ神様のみことばを求め、日常の領域においては自分の力に頼るというのは、本物の信仰とは言えない。
5. 「神様のみことばに従って力を尽くす人生」は、それほど単純ではありません。力を尽くして神様に仕えると言いながらも、その「全力」の中に、神様の御心に適わない方法が含まれることもよくあります。神様のみことばに従わなければならないということばが、受動的な態度を合理化するのに用いられる場合も多々あります。私たちの人生はどうですか。みことばに従って力を尽くして主に仕えていますか。
6. クリスチャンは、人生の中で信仰の戦いに臨み、戦う民として生きていく者たちです。目の前に与えられた課題を解決しなければならないとき、神様が望まれる態度は何ですか。今日も、主に仕えて聖別を守るために力を尽くしているのか、いつも神様のみことばを思いめぐらせているのか、分かちあってみましょう。
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目録
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