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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2014-11-27 |
2014年 12月号 1週次 |
365qt |
1616 |
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コリント전서 10:23~11:1 제목 : すべてのことは、してもよいのです。しかし…
말씀의 씨를 뿌리며 1. パウロは、本文でクリスチャンの自由がどのような基準によって評価されるべきだと語っていますか(23~24節)。 -> クリスチャンはすべてのことをしてもよいが、それが有益なのか、徳を高めることなのか自問してみなければならない。パウロは、他人の利益を心がけることに自由を用いるよう勧めている。
2. クリスチャンの自由と徳を高める問題を説明するために、パウロが例に挙げた話は何ですか。パウロが話る内容を、自分なりに理解して説明してみましょう(25~28節)。 -> 市場で売っている肉や、信仰を持たない者から接待を受けた際の食事は、それが偶像にささげられたものなのか調べ上げることはせずに自由に食べればよい。しかし、それが偶像にささげられたものであることを相手が教えてくれたなら、つまり、それを食べることが偶像を尊ぶ意味と解釈される恐れがあるときは食べない。
3. クリスチャンの自由はどの領域までを含み、その自由は何によって制限されますか(26、28節)。 -> クリスチャンは、この世のいかなる領域においても二元的な基準を適用されない。したがって、偶像にささげられた肉であっても「主のもの」なので食べることに制約を受けない。但し、誰かが良心を痛める恐れのある状況では、節制しなければならない。
4. パウロは、クリスチャンの自由と節制が何を目標にまとめられると語っていますか(31節)。パウロが、コリントの教会にこのように教える理由は何だと思いますか(参照/ガラ5:13)。 -> 食べるにも、飲むにも、何をするにも、聖徒に神様の栄光を慕い求める心があるなら、その中で自由と節制はふさわしい方向を向くことになるはずである。パウロは、クリスチャンなら日常のあらゆることが神様の栄光のために整えられるべきだと教えている。まことのクリスチャンとは、自分の自由によってほかの兄弟姉妹のしもべになろうと選択する者であることを教えている。
5. 共同体でしばしば濫用されるクリスチャンの自由は、どのような領域で見られますか。もしや、自分がそのような部分に関与したことはありませんか。
6. パウロは、神様の栄光のためにみなの人を喜ばせ、多くの人の利益を求めて、人々が救われるようにせよと勧めています。これが、聖徒の成熟した仕える態度となるべきです。私たちの共同体で、私はどのような成熟の実を結んでいますか。本文から、自分が節制することと、配慮すべき領域について振り返ってみましょう。
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目録
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