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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2014-03-25 |
2014年 4月号 4週次 |
365qt |
1816 |
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和解の喜び
1. パウロは、イエス・キリストによって義と認められた聖徒が享受することになる3つの祝福は何だと語りますか(1~4節)。 -> 第一に、神様との平和を持つこと、第二に、恵みに導き入れられて神の栄光を望んで大いに喜ぶこと、第三に、患難さえも喜ぶことができることである。
2. 神様と和解していない人々の姿(参照/1:28~32)と比べてみると、その恵みに導き入れられて神様と平和の関係にある祝福はどのようなものだと言えますか(2節)。 -> 「また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみと…」(1:28~32)など、あらゆる悪から解放されて神様の栄光を大いに喜ぶ礼拝者となることができる。「この恵みに導き入れられた」という表現は、神殿に大胆に入る義人の姿を表現している。「恵みの状態」とは、私たちが神様の愛と寛容に囲まれ、その中で安らかに、自然に、恵みによって呼吸するよう招かれた場にいるということである(参照/ヘブ4:16)。
3. 義と認められた聖徒には、神様との一対一の関係から来る礼拝の喜びとともに、患難にあっても喜ぶことができる、より積極的な祝福が与えられます。どのような希望が生まれますか(3~4, 10節)。 -> 患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。トマス・ライトは、このみことばを『Paul for Everyone: Romans, Part One』で次のように翻訳している。「それだけではありません。私たちが苦難の中でも喜ぶのは、苦難は忍耐を生み、忍耐はよく鍛錬された品性を生み、そのような品性は希望を生むことを知っているからです」。私たちの品性が患難を通じて鍛錬され、そのような品性が希望を生み出す。患難を通じて得られる希望は、すなわち「和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのこと」であるということだ。これは、どのような苦難や患難の中でも神様が救い出してくださることに対する希望である。
4. 神様が、義と認められた聖徒を、すぐに何の心配も悲しみもない安息の状態へと導かれるのではなく、苦難を通じて私たちの品性を訓練させることについて、どのように感じますか。そのような苦難がのろいではなく、希望になり得ることを確信できる根拠は何ですか(5~8節)。 -> イエス様を信じて義と認められた聖徒の人生を、安息へと導かれるのではなく、苦難の状況を許される神様を見るときに感じる様々な考えを分かちあうことができる。しかし、それが神様の無力を示したり、無情さを現す要素ではなく、むしろ私たちを成熟へと導かれるための神様の愛の証拠であることを確信する必要がある。5~8節に出てくる「神の愛が私たちの心に注がれている」という箇所を読みながら、それを分かちあうようにする。私たちがまだ不敬虔だったとき、つまり、罪人だったとき、価値のなかったときに、キリストが私たちのために死んでくださったことは、神様の確かな愛の証拠である。
5. 苦難を通じて私たちの品性が鍛錬されて、勝利と救いが与えられた経験があれば分かちあってみましょう。あるいは、現在苦難の中にあるならば、どのように反応すべきだと思いますか。
6. 義と認められた者が受け取る贈り物である神様との平和をより深く考え、神様にささげるべき反応は何ですか。周りの苦難の中にある人々をどのようなみことばで励ますことができますか。
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目録
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