Korean | English | Japanese     
   
 
 
    Home > 小グループ聖書勉強のガイド    
 
Go and Make
disciples
of all nations!
   
 
  国際弟子訓練院
  弟子訓練とは
  弟子訓練 α&Ω
  セミナー
  図書及び資料
  掲示板
小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2014-03-25 2014年 4月号 3週次 365qt 1820
価なしに与えられる驚くべき贈り物

1. パウロはユダヤ人もギリシヤ人もすべての人が罪の下にあると宣言した後(参照/9節)、今度は「律法の下」にいるユダヤ人たちに向かって宣言しています。律法の用途は何ですか(20節)。
-> 律法によって、罪の意識が生じる。

2. 「律法によって罪の意識が生じる」ということばは、何を意味するものですか(20節)。
-> 「律法を行うこと」によっては、だれひとり神の前に義と認められない。つまり、律法を守ることによっては、神様に受け入れられるだとか、契約の民としての身分を維持することはできない。律法は良いものだが、それを守らない人を罪に定める機能をする。したがって、律法は、法定で被告席に座ったユダヤ人たちに罪を告発する役割を果たすものなのである。

3. パウロは律法の罪を告発する機能とは別に、ユダヤ人を含むすべての人々に「神の義」が示されたと宣言します。これはどのような内容ですか(23~24節)。
-> 「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ」ないが、「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖い(=救い)のゆえに、価なしに義と認められる」ようになるのである。まとめると、すべての人は罪によって神様の栄誉を知ることも、見ることも、それに至ることもできないが、イエス・キリストの罪の赦しの贖い、つまり十字架にご自身をささげられた出来事により、私たちは義とされたのである。

4. その「神の義」はどのような方法で与えられますか(22, 26節)。これは、どのようにして可能になったと思いますか(25節)。人間の行いが全く介入せず、ただ信仰により義とされるという事実が持つ重要性は何ですか。
-> 「すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ」るので、信じる者に恵みとして与えられるのである。しかし、そのためにイエス様が払われた対価とは「その血による、なだめの供え物」になられたことである。その結果、神様が私たちを長い間忍耐され、わたしたちの罪を見のがし、私たちを義とされたのである。神様がすべてのことをなされ、私たちはただ信仰によりこれを受け入れるという教えは、異教には全く見られないものである。自分の救いが全く神様から来たという事実を受け入れるとき、宗教により人々を差別することから脱け出すことができる。この他、色々な意見を分かちあってみる。

5. 私たちを価なしに罪から救ってくださり、神からの栄誉を受けることができるようにされたという事実に、どんな感激がありますか。神の子イエス・キリストがなだめの供え物となってくださり、死によって私たちの罪の代償を代わりに払ってくださったという事実から、何を感じますか。
-> 私がイエス様を信じる前は死んで当然の罪人だったという事実を深く考えて悟るほど、価なしに与えられた神様の救いの恵みが本当に価値のある、驚くべき贈り物だと感じられる。しかし反対に、私が救いようのない罪人だという事実に深く気付くことができなければ、私に与えられた贈り物の価値をきちんと知ることができなくなる。救いの感激をより深く感じて維持するために必要なことには何があるのか、さらに分かちあってみよう。

6. 私たちが受けた救いが、イエス様を信じることで価なしに得た驚くべき贈り物であることを考えるとき、救われた者として、私たちの人生に現れるべき変化にはどのようなものがあると思いますか。その変化の中で、今週実践したいことは何ですか。

目録